「うつ病は誰でもなりうるもの」という思いが執筆のきっかけに
ーー貂々さんは『ツレがうつになりまして。』の大ヒット以降も様々な活動を行われています。今回は、そうした活動とその背景について、お話をお伺いできればと思います。 まずは「ツレがうつになりまして」を書くことになった背景から教えてください。
私は漫画家をしているのですが、2006年に『ツレがうつになりまして。』という漫画を出版しました。ツレというのは夫なのですが、ツレがうつ病になった日々のことを描いた漫画です。
最初に漫画にしようと思ったきっかけは、ツレがうつ病になったと周りに伝えたときの反応でした。
「意外と根が暗い方だったんですね」「ネガティブな方なんですね」というふうな反応があって、なんというか、私はそれがちょっと違和感があったんです。
「うつ病って誰でもなりうるものだし、性格がどうのこうのという訳じゃないんだよ。」ということを伝えたいと思ったことが、きっかけでした。
ーーツレさんの闘病当時、大変だったことはなんですか?
やっぱり、自殺したいと言われたことですね。死にたいと言われたときは、本当にどうしたら良いかわからなかったですね。24時間ツレを見張っているわけにはいかないですし。どうにもできないから、死なないで帰ってきてほしい、と祈るくらいしかできませんでした。
ーー祈る気持ちだったのですね。
死にたいという気持ちはいつ出てくるかわからないし、私が調子良さそうだなと感じていても、実は死にたいと思っていたということもありました。やっぱり人の気持ちの上下って、周りから見ていても全然わからないんだなということはすごく思いました。
ーーそこからどのように回復していかれたのでしょうか。
回復の兆しを感じたのは、薬を飲み忘れても大丈夫になったときですかね。それまでは、薬がないと体調が悪くなってしまっていたので、薬は必ず忘れずに飲んでいたのですが、ある時から、忘れてもそんなに気分が悪くならないという感じになっていって。その辺りからかなと思います。それで病院に行って、お医者さんに聞いたら、薬を減らしていいかもですね、と言われたので、減らしていきました。
苦しかった「ツレうつ」執筆。ギリギリまで悩んだ出版
ーーそれから、漫画を描き始めて苦労したことはありますか?
漫画にしようと思って、ツレが書いていた日記を読んだんです。そしたら、私が認識していないところでも大変な思いをしていたということを改めて思い知って。それがすごく辛かったですね。「私、全然ちからになってあげられてなかった」って。
ーー日記を通して、ツレさんの心のうちを知ったのですね。
日記に、本人が一人で苦しんでいたことが伝わる記述がずっと書かれていて。それを読んで、結構おちこんじゃいました。書いているとき、つらくて泣いちゃったりもして。
でもツレも「自分のことが誰かの役に立つならいい」と言ってくれたので、最後は一気に描きあげました。
ーーツレさんも応援してくれたのですね。
はい。でも実は本が出る1週間前、ツレが「やっぱり出さないでくれ」と言ってきて。本人は、いざ出すとなって、辛くなってしまったようでした。でも1週間前だったので出版を止めることもできず、もう出るよとしか言えなくて。
夫婦の貯金も底をついた頃だったので、「お金もないし、しょうがないよ」というような感じで、どうにか出版にたどり着きました。
ーー実際、出してからの反応はいかがでしたか?
それが実際に出たら、1週間で重版になったんです。当時はSNSもないから反応もわからないのでとてもびっくりして。そしたらまた2週間くらいで重版になって、びっくりして。
同時にホッとしました。ツレも、読んでくれる人がいるとわかって安心してくれました。
あと、『ツレうつ』を出してわかったのは、周りにも実はいっぱいいたということです。漫画を出したことで、「実は…」と打ち明けてくれる方が周りにもたくさんいて。みんな、隠していた、隠されていたんだなあと思いました。
ーー話してくださったような葛藤があったことは知りませんでした。でも、出してからたくさんの反響があったのですね。
そうですね。そういうできごとを通して、だんだん出してよかったなあという気持ちになっていった感じでしたね。
そこからどんどん広がって、ドラマになって、映画になって、というような流れです。
『ツレうつ』のその後。自分自身の生きづらさを見つめる旅へ
ーー貂々さんは『ツレがうつになりまして。』のヒット後も、対人関係にまつわる著書「それでいい。」や、当事者研究の「生きるのヘタ会?」など様々な取り組みをされています。今に至るまでの活動をお伺いできますでしょうか。
『ツレうつ』を出してから、色々なお仕事のご縁をもらうようになりました。うつ病に関する本も何冊か出させてもらいましたし、テレビにでたり、著名な精神科医の先生と一緒に講演にでたり、本当にたくさんのお仕事をさせてもらうようになりました。
ーー「こういうことをやろう」と決めてやっていたというよりは、依頼がきたものに応えていたという感じでしょうか。
そうです。これをやろうというよりは、依頼をいただいたものに応えていた感じです。
ーー今日までの活動の原動力になっているものはありますか?
なんだろう。。『ツレがうつになりまして。』ではツレを支える立場でしたが、私自身もネガティブ思考で自分を肯定できない性格があって、ずっと生きづらさを抱えて生きてきました。そういう悩みもあったので、生きづらい人が生きやすくなったらいいなというのはいつも考えていて。
ーー貂々さんご自身も生きづらさを抱えていらっしゃったんですね。
そうなんです。それで、そういう生きづらさって、意外と身近なところ、日常生活のちょっとしたところによくなるきっかけがあるようにも感じていて。そういうお手伝いができたらというのはいつも思っていました。
でも、私が生きやすくなったのは決して容易いことではなかったので、そんなに簡単にはいかないということもわかっているので、難しいことですが。
精神科医の水島先生との共著の『それでいい。』シリーズは、そういう私自身の生きづらさがきっかけで、ご縁をいただいて作ることになった本です。
https://www.sogensha.co.jp/special/soredeii/
ーー貂々さんの生きづらさは、どのように和らいでいったのでしょうか。
『それでいい。』の水島先生に出会って対人関係について学んでいく中で、「自分を肯定しないことには何も始まらないですよ。」と言われたんです。その言葉を受けて、自分を認める練習というのを始めました。「自分を否定しそうになったら修正する」ということを1〜2年くらいかけて、ようやく認められるようになっていきました。
当事者研究で辿り着いた「自分一人じゃない」ということ
ーー水島先生との出会いが、生きやすくなる大きなきっかけになったのですね。
それと、当事者研究会にもいくことになったのも大きかったです。知り合いに合いそうだと誘ってもらって、行ってみたんです。
そしたら、見える世界が変わったんです!私みたいにクヨクヨ悩んで後ろ向きなのは私だけだと思っていたのに、こんなに同じように悩んでいる人いたんだ、と。
ーー例えばどんな人に出会ったのでしょうか。